世界を救う読書

ビジネス書から文芸書までさまざまな本を通して世界の見方を考えるブログ

人はなぜ独裁者を欲するのか? 「独裁=悪」という思い込みこそが危険という話

f:id:Kogarasumaru:20210119183842j:plain


2016年にアメリカ大統領に就任したトランプ氏が政権の座から終わり、バイデン新大統領による政権がスタートします。トランプ政権の評価は様々ですが、ある意味で一つの”功績”として考えても良いのは、「政治体制というものがいかに重要であるか」が、世界中で再認識されたことではないでしょうか。特に民主制度という政治制度がいかに脆弱なものであるかが明らかになった4年間であったと言えると思います。

バイデン政権への移行によって世界の流れがどう変わるかは分かりません。今後いろいろなメディアで様々な識者が予測をし出してくるでしょう。ただ、そういった予測の前に、そもそも私たちが当たり前だと思ってきた民主制度が、どういうシステムであるのかを改めて見つめ直すことは、とても意義があることなのではないかと思います。

そこで今回は、民主主義と対極にある「独裁者」の歴史を追うことで、民主政治がどのように生まれ、どのような問題点を持っているのかを検証した本をご紹介します。

 

その本がこちら。本村凌二 著「独裁の世界史」です。

独裁の世界史 (NHK出版新書)

独裁の世界史 (NHK出版新書)

 

著者紹介

本村凌二 (もとむら りょうじ)。1947年熊本県生まれ。東京大学名誉教授。古代ローマ史研究が専門。

本書では民主政が生まれた古代ローマ古代ギリシャの研究を元にして、独裁政、民主政の歴史を追っていきます。

 

本書のテーマ

御覧の通り、この本のタイトルは「独裁の世界史」。このタイトルから考えると、独裁者の歴史を追うような内容だと思われるのではないでしょうか。実は私もそう思って手に取りました。ただ、どうも本当のテーマはそれではない。

この本は著者の専門分野である古代ローマから現代に至るまでの「独裁者」の歴史を取り上げることで、「民主政」「共和政」という民主主義に根差した政治体制というものが、どのように成立してきたのか。そして、その成立の過程を元にしながら、それぞれの長所と短所、問題点を解説している本です。

 

古代ローマの偉人たちの長ったらしい名前 (ペイシストラトスペリクレスとか)が頻繁に出てくるので、ちゃんと読もうと思うと少し大変かもしれません。しかし、個人名や歴史的出来事の正確性をズバッと無視して、ざっくりと「政治的混乱 → 独裁者の出現 → 民主化」という大枠の流れを読むようにすれば、さらっと面白く読めると思います。

 

では、本書の要点をざっとご説明し、その後本書から私たちが引き出すべき教訓をお話したいと思います。私個人の見解ですけどね!(笑)

独裁者だったが「悪」ではなかった人物

まず、一般的に「独裁」というと非常に悪い政治体制というイメージがあると思います。ドイツのヒトラーとか典型ですね。

そういうイメージからすると意外かもしれませんが、この本では「独裁者=悪」という単純な見解をとっていません。歴史を見る限り必ずしも独裁だから悪いという話ではなく、むしろ政治的な危機や経済的な危機においては、独裁による強固なリーダーシップや迅速な判断が必要になる時もある。

例えば古代アテネにおいて世界で初めて「民主政」という政治体制が花開きました。しかし、古代の歴史学者トゥキュディデスによれば、この時のアテネの繁栄はペリクレスという”独裁者”によって築かれました。そして、この独裁者ペリクレスは次のような演説を残しています。

 

「私たちの政治体制は、私たち独自のもので”民主政治”と呼ばれている。これは私たちが他国に誇るべきものだ。我が国では個人間で争いが起これば法律に基づいて、それぞれに平等な発言が認められている。優れた能力の人であれば、たとえ貧乏であったとしても高い官職を得ることができる。

また、個人がそれぞれの自由な楽しみを行うための行動を制限されることもない。個人が互いの自由を邪魔し合うことも許されない。

われわれは法を敬い、他者から侵害を受けた物を救うための法があるし、法を破る行為を恥じる不文律を大切にする気持ちを私たちは忘れない。」

*1

 

政治的手腕という意味では確かにペリクレスは独裁者であったと言えるかもしれません。しかし、彼の理想は現在と比較しても高い民主的政治であったのは間違いありません。実際彼の治世において、アテネの民主制度はもっとも高度に成長したと言われているようです。

彼の例を見ても分かるように独裁者だからと言って、100%悪だとは言えないのではないでしょうか。むしろ「独裁者」の問題は、独裁という制度そのものではなく、そのリーダーが国民のためを思って正しい行動をとる人物かどうかという”個人の資質”にかかっているという点にあると言えるのだと思います。

独裁の問題点

しかしながら、このような個人の資質に依存した体制というのは、組織の長期的な運営を考えた場合は非常に危険です。いわゆるリスクマネジメントができない、ということですね。特に国家のように永続的な組織で、関わる人間の数が大量に及ぶ場合はなおさらです。独裁者だから危険だというのではなく、独裁という制度は永続的な組織運営としては脆弱であることが問題点である。

もちろん凶悪な独裁者による危険性もあります。しかし、仮にその独裁者の資質が優れたものであっても、その独裁者がいなくなれば反動で政治は不安定化し、その混乱に乗じる形でポピュリズムに走ってしまう危険性があるからです。

そのような独裁の脆弱性を回避するために、古代から様々な国々でいろいろな政治体制が考案されてきた。その一つが「民主政」であり、「共和政」であります。

民主政とは何か

「民主政」はよく聞きますが、「共和政」はあまり聞きなれない方も多いかと思います。「そういえば学校で習った気がするな・・・」程度の方が多いのではないかと。

まずこれらの違いを明確にしておきましょう。

 

民主政も共和政も民主主義に基づいた政治体制という意味では考え方は同じです。ただ、具体的なアプローチが異なります。

直接民主制、間接民主制という言葉を聞いたことがある人は多いかと思いますが、民主政とは正確には「直接民主政」のこと。つまり市民や国民が直接意見を出し合って議論し、意思決定を行う体制のことです。しかし、少し考えればわかるように、このような方法は小さい村落のような少人数であれば可能でしょうが、数百万人とか数千万人とかいった巨大な人口の下では実現できません。

 

社会契約論で有名な哲学者ジャン・ジャック・ルソーは、次のように述べています。

「民主政という言葉の意味を厳密に解釈するならば、真の民主制はこれまで存在しなかったし、これからも決して存在しないだろう。もし神々からなる人民があれば、その人民は民主制をとるであろう。これほど完全な政府は人間には適さない。

つまり直接民主制は人間には不可能だと述べているのです。 

共和政とは何か

民主制すなわち直接民主制が不可能であれば、どうすれば民主主義を達成できるのか?そこで考え出されたのが「共和政」です。

共和政とは直接人民が政治にかかわるのではなく、代表者を選出して、その代表者の集団によって意思決定を行うシステムのこと。いわゆる間接民主制のことです。

つまり、日本人には馴染みのない「共和政」ですが、国民の代表者によって構成される国会で政治決定が行われる日本の政治体制も、実は共和政なのです。

先ほど紹介したルソーも現実的に可能な政治体制として共和制を支持しています。

「法によって治められる国家をその行政の形式がどのようなものであろうとすべて共和政と呼ぶ。なぜなら、その場合においてのみ、公けの利益が支配し、公けの事柄が軽んぜられないから。すべて合法的な政府は、共和的である。

 

民主政と共和政の違い

ここまで述べてきたように、政治システムとしては脆弱な独裁政よりも民主政、共和政の方がより望ましいものです。では、民主政と共和政についてはどちらの方がより望ましいのか?

先ほどご説明したように厳密な意味での民主政、つまり直接民主制は現実的な方法ではありません。この本の著者も共和政を支持する立場をとっています。ただ、その理由が独特で面白い。

著者は民主政と共和政を

・民主政 : 平等な市民が全員参加することを基本に議論で意思決定を行う。代表例が都市国家アテネ

・共和政 : 市民全員ではなく市民を代表する集団によって意思決定を行う。代表例が古代ローマ

として定義しています。

「どちらもいわゆる”直接民主制”ではない」という意味では同じなのですが、古代ローマの方がより身分制度がはっきりしており、エリート層が市民を代表して国家運営を行っていたという形です。

 

ここで非常に興味深いのは、古代ローマの人々が渋々エリート層に支配されていたのではなく、その政治体制を誇りに思って受け入れていたという点です。ここにはローマ人の徹底した現実主義的視点があったのではないでしょうか。

確かに理念的には人間はみな平等。意思決定は全員で行うというのは素晴らしい考えだと思います。

しかし、現実的には人間の能力は平等ではないし、考え方や抱えている歴史的背景も違います。そのような多様な人々が”平等に”政治参加をし、意思決定に関わるというのは現実的には非常に難しい。

古代ローマの人々はちゃんとそのことを理解していた。だからこそ、政治に長けている人が政治を行い、生産に長けている人は生産労働に従事する。労働に従事する人々は政治に長けた人々 (=エリート層) を信じて労働に専念する一方、政治家は労働者の信頼に応えるべく政治に真摯に取り組む。もちろん、その信頼を損ねるようなことがあれば、労働者がエリート層の暴走を防ぐための政治的システムもちゃんと担保しておくことも重要。

著者の分析によると、このようなそれぞれの身分の信頼関係と適度な緊張感こそが、古代ローマを500年もの間存続することができた要因だったと言えます。

 

民主政と共和政という2つの「民主主義的政治システム」。

どちらがより民主主義的か?

どちらのがより平等社会か?

という観念的な問題はさておき、実際問題としてアテネが長く見ても100年、ローマが500年存続した。その点を考えれば、著者は国家の統治システムとしては共和政の方が優れていたのではないかと書いています。

 

民主主義の敵もまた民主主義

しかしながら、アテネが100年程度、ローマは500年程度と期間に違いはあるものの、民主主義に根ざした政治体制を取りながら、独裁あるいは帝政といった権力への集中を招き、結局滅亡してしまったという点では同じです。

では、それぞれの政治体制の何が問題だったのでしょうか?

共通しているポイントは「格差の拡大が生んだ社会の不安定化」です。

 

たとえばアテネでは「ペリクレスの市民権法」という法律の成立がひとつのきっかけでした。

この法律の成立以前は、アテネの母親が外国人であっても父親がアテネ人であれば市民権が与えられました。しかし、法律成立後は両親がともにアテネ人でなければならないということになりました。当時のアテネギリシャ世界の広くから人が集まっていたため、同じ都市国家にいながら市民権を持つ者と持たない物が明確に区別されることになり、「アテネ人 vs 非アテネ人」の対立が先鋭化します。これに対外戦争などが重なり、国が混乱して衰退へとつながっていきました。

 

一方のローマは、その強力な軍事力で対外戦争を推し進めた結果、国内の農地が荒廃。農地から離れ都市に流れ込んだ「無産市民」と、奴隷を使って農地開発を行い富を得た上流貴族の格差が拡大。現代でもそうですが、政治的に多少問題があったとしても経済的に国家が安定していれば何とか安定が保たれるものです。しかし、経済格差が拡大すると、平和時には持ちこたえられた社会的混乱は顕在化し、社会の安定は保てなくなります。

 

民主政アテネにせよ、共和政ローマにせよ、社会格差が拡大したことで社会が不安定化。国民に間に渦巻く不満を吸収し、利用する形でポピュリズム勢力が台頭し国家が崩れていく・・・。結果的に共和政ローマの方が長く続いたものの、「民主主義に基づく政治」は社会格差の拡大によって衰退するのが宿命と言えるのかもしれません。

現代の世界の混乱に通じるものがありますね。

日本も民主政治の崩壊間近?

ここまでご紹介してきたように、この本では古代アテネ古代ローマで民主主義的な政治制度が誕生した過程とその衰亡の歴史を追うことで、その弱点を暴き出しています。そしてその弱点とは格差の拡大のこと。特に経済的な格差の拡大が民主政治の崩壊を導くということです。

これは現代にも通じる話ですね。

よく言われることですが、アメリカでのトランプ現象や英国のEU離脱なども一部の富裕層に富が極端に集まる一方、貧困率が上昇するなど経済的格差が広がったことが大きな原因だと言われています(参考 : https://www.rieti.go.jp/jp/special/af/data/060_inoue.pdf)。

 

一方の日本はどうでしょうか?

たとえば、UNICEFによれば日本の所得格差のレベルは先進国の中でワースト8位。厚生労働省の調査によると、OECD基準による相対的貧困率は15.7%で6人に1人が貧困状態で、単身親世帯で見れば実に 48.3%が貧困層にいるとされています(厚生労働省https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa19/dl/03.pdf)。

もちろん一言で「貧困」と言ってもかなり幅があるので、貧困=飢餓状態というわけではないでしょうが、それでも世界第三位の経済大国・日本でこれだけ格差が広がっているのは異常でしょう。

日本ではまだ米国や欧州ほど顕在化していませんが、このような社会格差が広がっている現状では、「民主政治の崩壊」が日本にも迫っていると言っても過言ではないでしょう。

まとめ:なぜ歴史を学ぶべきか

さて、ではこのような社会格差が広がる状況、民主政治が崩壊しかねい状況で、私たちに何ができるのでしょうか? 

一人の人間にできることは限られているし、その人が置かれている状況によってもできることは様々です。特に政治家と強いコネクションがあるという人でなければ、直接的に何か働きかけるということも難しいでしょう。でも、たった一つだけ誰でもできることがあると思います。それは「知ること」です。

 

この本では過去の人々が独裁者の誕生をいかに防ごうとし、そして防げなかったのかについて考察されています。その経緯や理由はさまざまですが、一つだけ確かなのは「誰も悪の独裁体制を築こうとして独裁者を望んだわけではない」ということです。それぞれの時代で、それぞれの人達が混迷の事態を解決しようとして必死に取り組んできた。

 

後から考えれば「何で民主政を放棄して、こんな独裁者を支持したんだ。馬鹿なんじゃないのか。」と思うかもしれません。しかし、その時代の混乱の渦中にいる人達には、自分たちが一体どのような時代の流れの中にいるのかを感じ取ることは非常に難しいものです。

まるで川の浅瀬で溺れている人がパニックになるようなものです。「足が着く程度の深さ」であることも分からず、死ぬかもしれないと必死にもがいてしまう。過去にさまざまな独裁者が生まれましたが、それはそのような必死の取り組みの結果論でしかないのです。

そのような時代の流れの中で重要なのは、「この流れはマズイ」と気付ける人がどれだけいるか。そして、そのために必要なのが、過去の歴史を把握し、現在の自分たちに置き換えて冷静に考える視点を養ってておくこと・・・すなわち「知ること」なのではないでしょうか。歴史の流れを人間一人のちからで変えることはできないけれど、過去の歴史を知ることは誰でもできる。そして、それこそが現在の自分たちの立ち位置を見つめ直し、あるべき道を考える道標になるのではないでしょうか。

そのきっかけとして、本書は一読の価値があるのではないかと思います。

 

 

という訳で今回ご紹介した本は、本村凌二著「独裁の世界史」でした。

今回も長文を最後までお読みいただきありがとうございましたm(__)m

 

独裁の世界史 (NHK出版新書)

独裁の世界史 (NHK出版新書)

 

*1:※トゥキュディデス「戦史」。原文はちょっと長いので意訳・要約しました。

このサイトについて プライバシーポリシー
Copyright ©2020 Sekadoku (世界を救う読書管理人)